【鹿児島(鶴丸)城】令和に復活した「御楼門」の魅力

観光スポット

大河ドラマの主人公となった天璋院篤姫や西郷隆盛をはじめ、近代日本の礎を築いた多くの人々を輩出した鹿児島。

 

鹿児島といえば桜島の雄大な景色や温泉、そして美味しい黒豚や焼酎などを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

 

そんな鹿児島に2020年(令和2年)、新しい観光スポットが誕生したので紹介します。

 

鶴丸城 御楼門の復活

2020年(令和2年)に「鶴丸城」のシンボルである日本最大の城門「御楼門」が147年ぶりに完全復元されました。

 

「鶴丸城」は鹿児島市の城山の麓にあります。県外などあまりなじみのない方は、城山と聞くと「険しい山の中なのでは……。」と想像されるかもしれません。ですが安心してください、街なかにあります。

今回復元された「御楼門」自体は官庁街にある鹿児島合同庁舎の西向いに位置しています。

 

アクセス
住所:〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町7-2
営業日:通年
交通アクセス:
・市バス「県民交流センター前」から徒歩約3分
・カゴシマシティビュー「薩摩義士碑前」から徒歩約3分
・市電「市役所前」徒歩約6分

 

なぜ鶴丸城と呼ばれているの?

 

「鶴丸城」の正式名称は鹿児島城です。

 

背後の城山の形が羽を広げ舞っている鶴のように見えることから「鶴丸城」という名で親しまれています。

 

「鶴丸城」は1600年(慶長5年)関ケ原の戦いののち、1601年(慶長5年)頃から島津家18代目で薩摩藩初代藩主の島津家久が築城に着手しました。

 

以後、明治時代まで島津家の居城となります。

 

「鶴丸城」は背後の山城と麓の居館から成り立っています。城といえば大阪城や姫路城のような城郭を思い浮かべるかと思いますが、江戸時代の築城当初から天守閣はありません。

 

完全復元プロジェクト

 

シンボルだった御楼門は1873年(明治6年)12月の火災により焼失し、長らく再建されることはありませんでした。

 

様々な意見のもと平成25年頃から再建のプロジェクトが動き出しました。焼失前に撮影された写真や文献などの資料、柱の下にあった礎石を手がかりにするなどして、2020年(令和2年)3月に完全復元されました。

 

鶴丸城の見どころ

なんといっても見どころは高さ、幅が共に20mという日本最大の城門ということです。

 

城門には直径1メートル級の木材が柱や大扉など至るところに使用されています。

 

非常に貴重な資材は、「鶴丸城」を築城した島津家久の父親・島津義弘に縁のある同県内の湧水町や岐阜県など多くの方々からの協力を得て調達したようです。

 

西郷隆盛や桜島など薩摩の気風を感じさせる雄大で、どっしりとした鹿児島らしい構えは圧巻といえます。ぜひ正面以外に下からも横からもじっくりと眺めてみてください。

 

2階はどうなっている?

 

御楼門は2階建ての構造です。2階部分は見張り台や武器庫、隙間から鉄砲で敵を狙える構造となっています。

 

門の両脇に2階へ上がる階段もありますが、現在のところは上がって見学することができません。

 

また毎日、日没から22:00までライトアップもされています。時間や季節に合わせたカラーチェンジやフラッシュの組み合わせなども楽しむことができます。

 

御楼門前はお濠になっており、梅雨明け頃から蓮の花が咲き始めます。夏の青空と蓮の花を入れながら、写真を撮るのもおすすめです。

 

 

御楼門をくぐった先にある石垣にもぜひ注目してください。明治新政府軍と西郷軍が戦った西南戦争の激しさを物語る銃痕の跡が無数に見られます。

 

「御楼門」へは市電やバスの利用が便利ですが、鹿児島市の繁華街である天文館からも徒歩15分程度です。
散歩も兼ねて周囲を散策しながら訪れてみるのも良いのではないでしょうか。ぜひ日本最大の城門「鶴丸城御楼門」を見学してみてください。

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